床屋遍歴

1

 

のっけからなんですが、私、床屋さんが好きです。
というより、正確には知らない床屋に行くのが大好きなのです。

 

つまり、これぞというお気に入りの店が見つからないわけではなく、
なんとなく、いろいろの店を渡り歩くことに、ある種の喜びを感じるようになったとでもいいましょうか。
とにかく床屋に関してはけっこう浮気性であります。

 

 

思えば、それは就職して3ヶ月。
最初のボーナスを手に、貧乏長屋で一人暮らしを始めた時から、私の床屋漂流はスタートしたのです。

 

ちなみにそれまでは、子どもの頃からずーと通い続けた床屋で、子どもの頃からずーと同じ髪型に仕上げてもらっておりました。
「いつもの感じでいいね。」といわれて、黙ってうなずけばいい、それはもう大変に楽な環境です。
一人暮らしを始めるということは、いろいろ大変なことなのでありますが、新しい生活は、そんなつーかーな世界を脱し、また新しい床屋を見つけることでもあったわけです。

 

 

さて、家賃15000円の最初の下宿。
近くの床屋さんは、なかなかこぎれいで、奥さんはシャキシャキ元気で、話好きの方でした。

 

今思えば、最初にそこにいった時に、ぼーっとしていたのが悪かったのでしょう。

 

正直私、床屋ではそんなに饒舌に喋りません。
もちろんずっと黙りこくってるわけでもないですし、理容師も無愛想な人よりは、適当に明るい人について欲しいなとは思います。
しかし、頭の上でハサミなどふりまわされている時に、あまり難しいことを聞かれても困るというのが、まぁ正直な気持ちでして、だいたい、「はあ」とか「ですねぇ」とか、そんな受け答えが多いのです。

 

そんなわけで、その日、私は奥さんの話に適当に相槌を打っておりました。
彼女が私を学生と勘違いしていることは、すぐに気付きましたが、べつにそれを訂正もせず、その上、あろうことか何年生?と聞かれて、つい4年ですなどと、適当に答えてしまったのでありました。

 

なんか頭から学生ときめてかかっているのに、悪い気がしたんですよ・・私、気弱なもので・・。

 

で、皆さん御察しの通 り、次回からはしっかり顔を覚えられて、いろいろ嘘に嘘を重ねることになります。

 

やがて、奥さんとの間では、わたしは卒論を書き上げて、小さな会社に就職が決まったことになってしまいました。
もちろん自分からは何もいってません。ただ奥さんのいうことに、はァとか、まぁそうですねとかいってただけなんですが・・。
とにかく3月になるころには、卒業して、実家に帰らないことにはどうしようもなくなってしまいました。(何しろ4年生ですから)

 

留年したとか何とか、これ以上話を複雑な状況にするわけにも行かないので、4月以降その店には近づけなくなったわけですが、それからですね。私がいきつけの床屋を持てなくなったのは。

 

2

 

 こうして果 てしない床屋遍歴に足を踏み入れた私ですが、はじめのうちはやみくもにいろいろな床屋に突入しては、どうにもしっくりこないで、店を変えるということをくり返しておりました。

 

ひどくよぼよぼのおじいさんが出てきて、震える手で髭そりされるのが恐ろしく、店を変えたこともありました。

 

またある時は、店主がやたら毛深いのが生理的にあわなくて、通うのを断念したりもしました。

 

そうそう、池袋のいかにも地価が高そうな場所で、ぽつんと古い理容店をみつけたときは、きっと頑固おやじがいい仕事してるに違いないと、反射的に飛び込んで見事玉砕したっけなぁ。

 

そうこうするうちに、だんだん床屋にたいして目が肥えてきたというか、わたしの中で、要求するポイントが整理されてきて、何というか自分なりの基準みたいなものが出来あがってきたのでした。

 

 

何ごとにも比較検討というのは大切です。

 

たとえば床屋における醍醐味に、散髪、髭そりが済んだあとの、あの至福の肩たたきマッサージというのがありますが、そんなささやかなサービスにも、理髪店によって雲泥の差があるわけです。

 

申し訳程度に、ぽんぽんっと叩いてすましてしまう店があるかと思えば、マッサージ器まで持ち出して、念入りにやってくれるところもあります。
たまたま上手で念入りなマッサージに出会った時などは、これはもう大変に得した気分になります。

 

マッサージ以外でも、待ち時間のコーヒーサービス、鼻の毛剃りや耳掃除といった、さまざまのオプションがあり、こういったことが、実は床屋で満足感を得るための、重要なファクターであることは疑いようがありません。

 

さらに最近の価格破壊による、料金設定の多様化なども絡み、床屋選びはますます難しく、奥の深いものになりつつあるのではないでしょうか。

 

先ほどの床屋選びのポイントという点に戻るならば、きちんと散髪してくれるのは当然として、こうしたさまざまのファクターをいくつクリアしているか、そのお得感に尽きるのだと思います 。

 

てなわけで、理屈ばかり先行し、いよいよ店を固定できず、20年近くもあちこちを廻り続けることになっている私なのですが、それでも長い放浪うちには、何度か非常に気になるというか、忘れられない店というのが存在したのであります。

 

3

 

どうしても気になるのは、ある日いきなり家の近所に開店した店でした。
ある朝折り込みチラシが入ったのですよ、
「○○○○(←名前)とスタッフの店」って。
これ、最近のカリスマ美容師の店なんかに多いコピーですよね。

 

しかし、チラシに書かれている場所にそんな店あったかなぁ。確かあそこは中古車販売店だったはず、別 に工事をしていた様子もないし・・。
そんな疑問を抱きつつ、よし、ここはひとつ、偵察がてら髪を切りにいってやるかと、速断即決。
床屋マニアの面目躍如であります。

 

ところが案の定、地図に記された場所は中古車販売店で、それらしいオシャレな店は見当たりません。
はて・・と、まわりを見回すこと数秒。見つけました。隣のラーメン屋の三階に・・。

 

一階が店鋪で、上はどう見ても一般住宅用の物件なんだけど、とにかくアパートの廊下みたいなところで、例の赤白青の三色が、グルグル廻っているではありませんか。

 

 

当然嫌な予感はしたのです。そういえばキッャチコピーのわりには店の名前はなんだか古めかしかったし、値段もみょーに安かったっけ・・。
しかしここまできて後には引けません。
わたしは 意を決して中に入ることにしました。

 

「いらっしゃいませ」とりあえず大きな声がかかり、ソファーに腰掛けると、コーヒーも出てきます。
雑誌も充実していて、待ち合いスペースはなかなかです。
そんなに悪い店でもないかなと、まわりを見回すと、 店内は意外に広く、新しい店だから、きれいといえば、きれいです。

 

でも何か雑然としているのです・・なんともいえぬ違和感とでもいいましょうか・・少なくともオシャレな店ではないようです。

 

やがて順番がきて奥に招き入れられると、 雑然としたわけはすぐにわかりました。

 

店鋪がどう見ても素人設計なのですよ。

 

まず、シャンプーだのローションだのを収納しておく棚が、極端に浅い。だから鏡の前まで、物が溢れ出ています。
タオルにいたっては収納場所を作っていないらしく、毎回奥の方へ取りに行く状態。 

その上配線を床下に入れていないので、イスから出たコードが床をはっているのです。しかもたこ足配線。

 

これは、とんでもない店にきてしまったのではないのか? さすがの私も、ちょっとびびります。

 

そういえばイスは五つもあるのに、カットしているのは男性がひとりです。どうやらこの人が○○○○さんのようです。
さらにもうひとり女性が、何をするでもなく立ってるのですが、後から客がきても、動く様子がないところをみると、理容師免許が無いのでしょう。
この女性がスタッフなのでしょうか?

 
様子から察するに、二人は夫婦です。

 

男性は50代前半といった風情。無口です。

 

壁には店主が撮影したらしい、富士山やら、花の写真がパネルになってかかっています。どうやらカリスマ美容師ではなく、趣味人の親父だったようです。 
それから写真の横に、子どもが学校で描いたと思われるクレヨン画が貼ってあって、どうも趣味人の上に、子煩悩でもあるらしい。

 

少しほのぼのしかけた時、気付いたのでした。
御丁寧に絵に名札がついているではありませんか、 んっ、張○○?・・って中国名じゃないの、えっ、この人中国人なの・・・・?

 

そういえばこの雑然とした感じ、東南アジアでさんざん体験したのと同じだ、そうなのか? ここは来日した中国人一家が開いた店なのか?

 

じゃ、○○○○って誰よ? それともこの人がスタッフなのか?・・・・

 

あー、わからん。
それからこの謎を解くべく、私は一時、床屋巡りを封印して、この店に通 いつめることになります。

 

4

 

この一風変わった店に何度も通 いつめ、横目で周囲を伺い、聞き耳を立て、観察を続けることほぼ半年。
(何しろカットは月イチペースなんで情報収集も大変なのよ)
さらに新しい事実が明らかになってきました。

 

まず、○○○○さんはやはりカットを担当している親父さんらしいこと・・・・これはどう考えても親父さんより偉そうな人が出てこないので、間違いない。
そして彼はなかなか仕事が手早く、且つ上手で、どうやらそれなりのキャリアを積んでいること。

 

次に○○○○さんの娘(確証はないが顔が瓜二つ)がいて、時々手伝っていること。
彼女はカットもするので、理容師であること。

 

理容師でない女性は口調などからやはり中国の方であること、また彼女の年齢や、お互いのよそよそしい態度などから、○○○○さんの娘とは親子関係が無さそうなこと。

 

さらには、明らかに中国から入国して、まだ日の浅い複数の男女が、レジや雑用をしていること。・・etc

 

これらの事実を踏まえ、わたしのない頭を絞って考えると、だいたい以下のような筋書きが想定されるのでありました。

 

 

床屋を開いて25年。腕がいいと町内で評判だった親父さんは、不幸にして奥さんに先立たれ、一時仕事も手につかず、周囲を心配させていました。

 

そんなある日、突然、後添えとして中国出身の女性と結婚を決意、周囲を驚かせます。

 

国際結婚であること、そして彼女に連れ子がいたことなどで、この齢五十を越えての一大決心には、反対の声も多く上がり、親父さんは逃げるように住み慣れた町を離れたのです。

 

そして誰も知る人のないこの土地で、ほとんど準備期間もないまま、新しい店を開きます。
それまでの貯えを全て注ぎ込んでの再出発でした。

 

物件を吟味する暇もなく、又工事など任せきりだったので、いざ開店すると、いろいろ不都合な点も出てきましたが、職人堅気な親父は黙々と仕事をすすめ、その姿に、父の再婚に反対していた娘も、やがて手伝いにやってくるのでした。

 

一方の妻は、故郷から彼女を頼ってやってくる、親類縁者の面倒をみながら、今日もかいがいしく親父さんを助けます。

 

ああこの家族に幸あらんことを・・・。(妄想85%)

 

もちろん本当はどうなのか知る由もありません。
事実を聞いてみる勇気もありません。
しかしなんとかここまでの物語を作り上げて、わたしはようやく安心?することが出来たのでした。

 

 

ああ、これでまた落ち着いて、床屋巡りに精出すことができる。 この店に来るのももう最後にしよう。

 

そう思って、待ち合い室でコーヒーをすすっていたわたしに、一枚のチラシが目についたのであります。

 

そこには『2号店オープン!美人スタッフの店』の文字とともに、後妻(たぶん)と娘(おそらく)が仲良く寄り添っている写 真が・・・・。

 

どうも違う物語を考えなくてはならないようです。

 

2004/1/1