遠い昔の学生時代。
私が卒業制作に描いた絵は「ヒューマニズムと自然」というタイトルでした。
ずいぶんと哲学的かつ難解で、今となっては自分でもさっぱり理解できないんですが、まぁ、ずっと過去のことです。きっとあの頃は、少しばかり賢かったのでしょう。
で、その高尚なテーマのもと何を描いていたかと言えば、「サル」の絵なのです。いったい何でサルだったかはここには書きませんけれど、もちろん当時の私のなかでは、それなりの必然性のあってのことでした・・・多分そうです、・・本当のところはわすれましたが。
ところが、自信を持って臨んだ最終講評の席で、担当教授のA先生はこう言い放ったのでした。 「うん、実に面白い、このサル、君の自画像だよね。」
さて、何が言いたいのかといえば、美術なんていうものは、いくら作り手が、その作品に深遠で崇高な思いをこめたところで、しょせんは見る側の解釈次第だということなのですね。
だとするならば、最初から意図を理解してもらおうなどと考えずに、 サルが自画像でもいいではありませんか。
たとえ相手がどう思っても、面白い作品だと言ってくれるのならば、それはそれでかまわないのです。
むしろ多様な解釈が可能な、懐の深い作品、あるいは作者の思いをこえて、いろいろな感情を喚起する作品、そういう作品こそが、本当にいい作品なんじゃあるまいか。そして各人の解釈を大いに楽しんでもらおうではないか。
あの日から私は、そんなふうに考え、まぁ地道にやっているわけです。
2003/6/23
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