(伍) 造形作家を名乗る

 幸せな教師生活は15年続きました。
 時に39才。世間的にはもう充分に大人とよばれる年齢でありまして、それが突然、人生の勝負に出るのですねえ。
つまり、この不況下、安定した公務員の職を捨てて、よりにもよってゲージュツカになろうというのです。

 なんでこのタイミングで無茶しようと思ったのか、じつは自分でもよくわかりません。長い時間かけて、ようやく若いころの自信の無さから脱したのか、あるいは単に魔がさしただけなのかもしれません・・。ただ、まわりの状況や、自分自身の気持ちがうまく合致して、自分が勝負するとすれば、これが最後のチャンスだなとそう思えたのです。

 それに、いざやめるとなれば、まわりからそれなりのリアクションがあるかとも思いましたが、これが意外とあっさりしたもので、少々拍子抜けで・・。健気なことに妻までが応援するとかいうんですよ。もう気の変わらないうちにと思って、すぐ退職届だしちゃいました。あんまりすんなりいくので、おい本当にいいのかと自問したくらいでしたね。

 でも考えてみれば、偶然にせよ人生にこのような巡り合わせがきたということは、わたしの運気も、まだまだ捨てたものでは無いのかも知れません。どこかで自分を引き止めるものがあれば、小心者のわたしのことです、あっという間にあきらめていたに違いありませんから。

 お絵描き少年、もといお絵描き中年は、そのころ徐々に興味が、絵画から立体作品に移っていました。しかし、自己流では如何ともしがたいこともあって、退職後は木工の勉強をするために、専門校にかよいます。
 結果として、これがなかなかいい助走期間になり、その後の方向性をじっくり考える機会にもなったようです。おがくずにまみれながら、少しずつ、ものをつくる感覚を思い出していけたのです。
 ついでに、昇降盤やら自動カンナやら、ひととおり使えるようになったおかげで、今も時々、家具工場でバイトできるのですから、まぁ専門校さまさまってところでしょうか。(そのうえ学費タダなんですよ)

 さて、ここの在学中に、お前はこのあとどうするのだと聞かれて、はたと考えたのでした。もちろん卒業後の仕事のことです。やりたいことは決まっていましたが、それをなんと説明すればいいのか・・

 入学したのは家具の学校でしたが、むろん家具作家を目指したわけではありません。立体ですから画家でもありません。芸術家というのは余りにも仰々しい(何しろ小心者ですから)。で、造形作家を名乗ることにしたのです。

 けっこういいネーミングだと思ったので、ためしに同級生の(といっても15も年下でしたが)ワタナベ君に、俺はゾウケイサッカになるんだといってみたところ、意に反して、なんとも困った顔をされたので、(そりゃ困るわな、リアクションのしようがないもん)それっきり人にはいっていないのですがね・・。