(壱) 幼少期

 美術というか、お絵描きに目覚めたのは4、5才のころ。

 

もとをただせば、生まれつき目が悪かったのがおおきいのです。 斜視と弱視の合わせ技で、
視力も、0.02なんていうふざけた数字。幼稚園の時にはすでに分厚い眼鏡をかけていて、その頃の写真を見ると、これはもう桂文珍の少年時代みたいな顔をしています。

 

 しかも悪いのは左目だけで、右目は正常。よくいうガチャ目というやつで、こうなると遠近感がつかめないのです。目の前のものを掴もうとして、すかっと空振りしちゃうわけです。ですからボール遊びとかには、ものすごくハンデがありまして、自然とインドア派の少年に育ったのでした。

それからもうひとつ、入った幼稚園が新設だったんですね。なにしろできたてで園児が少ない。どのくらい少ないかといえば、同級生がカミムラミユキちゃんという、女の子ひとりだけだったというすごい状況でした。 
 それがどうしたと思われるかも知れませんが、当然、友だちというとその子しかいないんです。家も近かったし、けっこう美人だったし、それでよーく彼女の家で、チラシの裏にお絵描きなんぞしていました。

 毎日描いてればうまくもなるわけで、一応この頃にその後の人生の素地は築かれたんじゃないかと、まあ、こう思っています。

 やがて小学校に入学すると、他の幼稚園から来た子は、グローブを持って野球なんかしてるわけで、女の子相手にインドアライフを満喫してきたわたしは途方に暮れることになります。
 野球もやってみましたけど、ルールも知らなきゃ、ボールもとれない。それこそ、打ったらどっち走ればいいかもわからないし、そもそもバットにボールがあたったためしがないから、走る機会じたいがないと・・。 

 もう図工の時間しか勝負できる場所がないことは、すぐに悟りました。人間ひとつくらい得意がないと、生きてくのが辛いですから。